ドクター・ミクリヤの薬

ドクター・ミクリヤの薬

薬としての大麻の忘れられた歴史を再発見した、一人の先駆的医師の物語
薬としての大麻の忘れられた歴史を再発見した、一人の先駆的医師の物語

Smoke Signals: A Social History of Marijuana – Medical, Recreational and Scientific』(マーティン・リー著)からの抜粋です。

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Tod Mikuriya, c.1960s

トッド・ヒロ・ミクリヤには使命があった。アメリカで大麻の医療利用が見捨てられていた時代にあって、ミクリヤは忘れ去られた医学文献を発掘し、それを医師や科学者らに提示したのだ。長身でハンサムなこの精神科医は、西欧医学における大麻の正当な立ち位置を取り戻す闘いを通じて、歴史的な不正行為を正そうとしたのである。アメリカでは誰も — 大麻の喫煙者でさえ — 大麻の医療利用の歴史について知らなかった時代に、彼はほとんど単独でこの問題に取り組み続けた。

1933年に生まれ、ペンシルバニア州東部の小さな農園で、ドイツ人の母と日本人の父に育てられたミクリヤは、子どもだった第二次世界大戦中、二重の偏見を体験した。ミクリヤの父親はキリスト教に改宗しており、軍需工場で働いていたにもかかわらず、ミクリヤ家には FBI がやってきて強制収容所に入れるぞと脅した。「妹と私は、石を投げられ、殴られ、唾を吐かれ、罵られた。近所の子どもたちは私たちを、まるで野良犬のように追いかけ回した」とミクリヤは回想している。「人間は、人を憎むように洗脳され、訓練されるのだということに私は気づいた。それと同じことが、マリファナやマリファナユーザーに対しても行われたのだ。私は抵抗することを学んだ」

ミクリヤは、フィラデルフィアのテンプル大学で医学の学位を取得した。あるとき、ある薬理学の教科書の、授業には使われない章を読んで彼は大麻に興味をそそられた。そこには大麻の持つ医療効果についての短い言及があったのだ。貪欲な読書家であった彼は、テンプル大学の図書館で大麻についての情報を漁った。1959年の夏季休暇中、彼はメキシコへ行き、少量の「モタ」(訳注:スペイン語で大麻を指す俗語)を闇市場で買った。そして、ガイドが何服か吸うのを見てから、初めての大麻を吸ったのである。「毒でないことを確かめるためだった」と後になってミクリヤは説明している。

ミクリヤ、モロッコへ

1966年 8月、ミクリヤは、キーフ(強力な粉末状のハシシ)が人を狂人にしている、という、後に虚偽であることが証明された主張を調査するために北アフリカに向かった。彼は、モロッコのリーフ地方の険しい山岳地帯で伝統的にキーフを喫煙しているコミュニティについての記事を、複数の学術誌に投稿した。「そこでは誰も西洋人を見たことがなかった」とミクリヤは書いている。彼は、モロッコを植民地化したフランス政府による、大麻喫煙を撲滅しようとする試みに抵抗したベルベル族の人々とともにキーフを吸った。また現地の警察署長とも食事をした。「2キロ以下なら個人使用とみなす、というのが私の方針ですよ」と警察署長は言った。

モロッコから帰国後、ミクリヤは、ニュージャージー州神経精神病研究所の薬物依存治療センターのディレクターという仕事に戻った。プリンストンにある、ヘロインおよびバルビツール酸塩依存症患者のデトックス施設である。たまに大麻を吸う程度だったミクリヤは、印度大麻を経口摂取したことがなかったので、プリンストンの研究者カール・C・ファイファーによる実験に参加する機会が与えられると志願した。ファイファーの研究室で、さまざまな実験機器につながれた状態で、低用量・中等量・高用量の大麻エキスがミクリヤに投与され、その都度、彼の脳波、血圧、脈拍が計測された。後になってミクリヤは、ファイファーは密かに CIA と契約を結んでおり、LSD その他の向精神薬物を使ったマインドコントロールの実験を行っていたことを知った。

ミクリヤとファイファーが互いを尊重しあっていたこと、また、豊富な人脈を持つプリンストン大学の薬物研究者たちのおかげで、ミクリヤが次の職を手にするのは楽だった。1967年 7月、ミクリヤは国立精神保健研究所(NIMH)に請われて大麻研究を指揮することになる。当時の彼はかなりの理想主義者で、政府の政策を改正するには、大麻が安全で効果的な薬であることを公平かつ論理的に示してみせさえすればよいと考えていた。

国立精神保健研究所で

国立精神保健研究所に勤務中、ミクリヤは、国立医学図書館に保管されている、大麻に関するすべての科学的・医学的報告書を徹底的に調べ、西欧医学に「ガンジャ」を初めて紹介したアイルランド人医師ウィリアム・オショネシー卿によって 1838年に発表されたが長い間無視されていた、影響力の大きい論文を発見した。またミクリヤは、オショネシーの研究結果を裏付け、さらにそれ以外にも大麻の利用法のいくつかを報告したさまざまな論文も見つけた。1893〜1894年の「印度大麻コミッション報告書」全9巻、計 3,281ページも読破した。そこには、インド亜大陸では何千年も前から大麻が薬として利用されてきたことが記されていた。19世紀のアメリカ、イギリス、フランスでは、さまざまな疾患に対して大麻チンキがごく一般的に処方されていたことも知った。だが、アメリカ政府は 1937年に事実上大麻を非合法化していたため、アメリカの医学界は、大麻が持つ貴重な医療効果についてかつてはわかっていたことを忘れてしまっていたのである。

間もなくミクリヤは、大麻の全面禁止を正当化するための研究しか許可しない NIMH の、官僚主義の泥沼に嵌ってしまった。「政府は大麻の悪いところばかりを見つけたがった」とミクリヤは述べている。「だが私にはそんなものは見つからなかった」。職場の外では、ミクリヤの考え方に共感する複数の NIMH 職員と一緒に大麻を吸いもしたが、連邦麻薬局の機嫌を損ねてキャリアを棒に振る危険を犯す向こう見ずな人間はいなかった。「また、時代遅れの議員たちにも気をつけなければならなかった。彼らには、我々の一番痛いところを突く権力があったのだ — つまり、予算の配分である」。これが出来レースであることを見抜いたミクリヤはそう説明している。大麻関連の研究助成金の申請書はすべて、「当たり障りのなさ」の遵守に熱心な、杓子定規で道徳至上主義な委員会によって審査された。医療効果の解明を目指す研究は、彼らの検討すべき課題ではなかったのだ。

ミクリヤは、大麻に関する詳細な政策方針書を用意し、政策の大幅な変更を求めた。大麻が危険な薬物ではないということを強調し、アメリカ政府に、その多様な医療効果について十分な研究を行うよう求めたのである。だが NIMH のミクリヤの上司は、大麻の医療利用よりも、1960年代の気まぐれな若者たちに大麻が与える影響の方に関心があった。ミクリヤは覆面調査官として北カリフォルニアに派遣された。「私は NIMH によって、ヒッピーたちのコミュニティに潜入し、彼らのサブカルチャーに大麻がどんな影響を与えているかを調べるよう命じられた。私の同僚たちはこうしたヒッピーコミュニティが文明を破滅させるのではないかと考えていたのだ」とミクリヤは述べ、さらにこう付け加えた —「ヒッピーのコミュニティが奇妙だと思うなら、連邦政府の仕事をしてみるといい。ヒッピーは『君の星座は何?』と訊く。政府の職員は、『君の GS レベル(訳注:連邦政府職員の給与スケールの等位)は何?』と訊くのである」

人々とともに

ミクリヤは、こと大麻に関しては、彼が西海岸から戻ったときにその報告を受けた「抑圧された官僚」たちよりも、北カリフォルニアで大麻を育てる反抗者たちとの方が気が合うことに気づいていた。NIMH の職員たちは「ノーブラのヒッピー・ガールのイメージが頭から離れないようだった」とミクリヤは回想している。こうして4か月足らずを虎穴で過ごした後、ミクリヤは NIMH を辞職して、いわば「人民の側に立った」のである。

NIMH を離脱して間もないミクリヤのところに、1950年代後半から 1960年代にかけてエッジウッド・アーセナルで米国陸軍が秘密裏に行った化学兵器研究プログラムでメディカルディレクターを勤めたヴァン・シム博士から連絡があった。化学部隊がうかつにも THC の医療効果を発見したので、陸軍による THC 研究の機密扱いを解除したいと言うのだった。神経ガスの解毒薬を探していたエッジウッドの職員がたまたま、大麻が持つ強力な抗けいれん作用を見つけたのだ。シムは、大麻が「おそらくは医学界の知る最も強力な抗てんかん薬である」と結論した。だが、陸軍による研究の結果は、官僚たちの怠慢と、マリファナに敵対的な政治環境により、その機密扱いが解かれることはついになかった。

ミクリヤはカリフォルニア州バークレーに移住し、精神科医として開業した。1968年 3月、彼は「現在の薬物乱用問題」と題されたカリフォルニア州医師会主催のパネルディスカッションに参加し、古代中国、インド、ギリシャ、イスラム世界の事例や、近年海外で行われ、THC が小児のてんかん発作を、医薬品として承認された(重篤な副作用のある)薬よりも効果的に抑えることを明らかにした研究結果などを引用し、医療用大麻の歴史の概要を紹介した。「大麻は肉体的依存が生じないため、さまざまな治療目的についてオピエイト薬よりも優れていることがわかった」と彼は述べている。また、オピエイト薬依存症患者の禁断症状やアルコール依存症の大麻による治療にも有望な結果が見られたことにも触れている。

ハームリダクション

後に「ハームリダクション」として知られることになる概念を早くから支持したミクリヤは、致死量も依存性もない大麻を、ヘロインや酒に代わるものとして使うことを提唱した。1970年、彼は『Medical Times』誌で、大麻の喫煙によって飲酒を止めた女性患者の事例を報告した。カリフォルニア州で医療大麻が合法化されると、ミクリヤは何百人ものアルコール依存症患者を治療し、彼らは酒を大麻に替えることで人生を取り戻した。基本的には、大麻の摂取量の増加と飲酒量の減少には正の相関関係があることがわかった。ミクリヤの知る限り、大麻は薬物依存へのゲートウェイ(入り口)ではなく、むしろエグジット(出口)・ドラッグだったのだ。

同時にミクリヤは、大麻のあらゆる側面に関する学術論文リストの決定版を作った。その中で最も重要な論文は、ミクリヤが編集した画期的な論文集『Marijuana: Medical Papers』に収録され、彼はその序文にこう書いている —「毒性がほとんどなく、耐性もつかず、肉体的依存性もなく、自律神経に対する影響もほとんどないといった特徴に鑑み、疼痛、慢性の神経性疾患、発作性障害、片頭痛、拒食症、精神疾患、ウイルス感染などの治療に関する大規模な臨床試験が直ちに行われるべきであろう」。これは同業者である医師たちに向けた、「医大で教えてくれなかったことのすべて」的参考書として書かれたものだった。

1973年にこのミクリヤの大要が出版されたことが、現代における医療大麻ルネッサンスの始まりとなった。その後の数年間、彼はその双肩に、やがて従来の医学界と憲法を越権した当局に反抗して広く人々に広がった革命へと発展していく、生まれたての社会運動を背負い続けたのである。



Martin A. Lee は Project CBD のディレクターであり、『Smoke Signals: A Social History of Marijuana – Medical, Recreational and Scientific』の著者。

トッド・ミクリヤの写真出典: National Library of Medicine.

トップの写真: モロッコのリーフ山地

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Revision date: 
8月 3, 2021

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